今日、かつてアシスタントを務めさせて頂いていた佐渡裕さんが指揮をされた、トーンキュンストラー管弦楽団の日本ツアー最終日(すみだトリフォニーホール)を聴かせていただきました。ソリストは、飛ぶ鳥を落とす勢いの反田恭平さん。佐渡さんとの共演も多い反田さんは、今「最もチケット入手困難なピアニスト」と言っていいでしょう。
佐渡さんは、ウィーンに本拠地を置くこのオーケストラの音楽監督を(2度の契約延長を経て)10年間続けてこられました。全国8都市を巡る今回のツアーは、今年限りでその任を退かれるにあたっての、ひとつの区切りになるものです。
プログラムは、モーツァルトのピアノ協奏曲第23番イ長調K.488と、マーラーの交響曲第5番嬰ハ短調。まさにウィーンの伝統を感じさせる王道のラインナップでした。
前半《モーツァルト/ピアノ協奏曲第23番イ長調K.488》
まず何よりも強く印象に残ったのは、その“音色”です。今から約25年前、先輩の指揮者に連れられて、初めてウィーン楽友協会でウィーン・フィルのリハーサルを聴いたときの衝撃が甦りました。トーンキュンストラー管弦楽団も同じウィーン楽友協会を本拠地にしていて、このホールの音を、佐渡さんはプレトークで「生クリームが乗ったような音」と表現されていましたが、その音をそのまま連れて来てくれたかのような、甘美な響きでした。
ハーモニーの違いがあれほどまで音色に反映されるのは、佐渡さんとトーンキュンストラー管弦楽団が長年ハイドンの作品を数多く演奏してこられたからだと思います。そういう音色とハーモニーへの鋭敏な感覚があるからこそ、モーツァルトが楽譜の随所に忍ばせた音楽的な仕掛けが、何十色ものクレパスで鮮やかに描き出されたのでしょう。
モーツァルトの音楽は、チャイコフスキーやプッチーニ、R.シュトラウスのように感情を激しく揺さぶるタイプではありません。しかし、今日の演奏には、後期ロマン派の濃密な音楽と比べてもまったく引けを取らない、非常に多彩な“色”が感じられました。
反田さんのピアノも非常に繊細で素晴らしかったです。ピアニストはふつう、そのホールにあるピアノを使わざるを得ません。「自分の楽器」ではないにもかかわらず、ギリギリのpp(ピアニッシモ)に挑戦する姿も見事でした。私自身ピアノを弾くので、小さな音で弾くとハンマーが弦に届かず音が鳴らないかもしれない…そんな恐怖感を知っています。しかし、反田さんはそうした次元をはるかに超え、まるでピアノという楽器自体に“歌わせて”いるかのようでした。
後半《マーラー/交響曲第5番 嬰ハ短調》
後半はマーラーの交響曲第5番。オーケストラがこれでもかというほど大きくうねり、音楽が自在に動きまくっていました。100人の奏者が佐渡さんの棒に高い集中力で反応し、豪華絢爛な大音響を響かせる一方で、有名な"アダージェット"に代表される静謐な場面では、ピンと張り詰めた緊張感が漂います。しかも、その緊張を支える糸は、麻のような強いものではなく、絹のように細くしなやかで艶やかなものでした。ほんの少しでも力を入れすぎると切れてしまいそうな、そんな繊細さと隣り合わせでした。
また、佐渡さんが、わずかな動きでオーケストラから途轍もないエネルギーを引き出す場面が何度もあり、その研ぎ澄まされた指揮振りには改めて感動しました。それでいて、佐渡さんらしいダイナミックな動きも健在ですから、音楽の振り幅、奥行きを益々自由自在に操られているように感じました。それができるのも、佐渡さんが10年という長い年月をかけて、オーケストラとの揺るぎない信頼関係を築いてこられたからでしょう。オーケストラの皆から愛されていることがこんなに伝わってくる演奏会はそうそうありません。
その上で特筆したいのは、オーケストラの各奏者が、自分の出す音の「意味」を完璧に理解しているということです。たとえば、ドミソの和音を皆が同じ強さで弾いてしまうと、ただの機械的な和音になります。しかし、今日の演奏では、場面に応じて各音の強弱や音程が繊細にアレンジされていたように思います。そういった細やかな表現に、何度も「ハッ」とさせられました。
まとめ
今日の演奏会には、オーケストラをホールで聴く醍醐味のすべてが詰まっていたように思います。サブスクリプションサービス全盛の今は、月に1,000円もあれば古今東西の名演が聴き放題です。しかし、今日すみだトリフォニーホールに響き渡った「幸福な音」は、どんなに高価なオーディオでも再現できないと思います。
そういう意味でも、音楽の“生”の力をあらためて実感できた、特別な一日となりました。
おまけ
舞台裏を尋ねると、大勢のお客さんの中から私をめざとく見つけて「お〜ドナルド(私のあだ名)!」とハグをしてくださいました。昔からちっとも変わらない、本当に(あの体以上に)器の大きな方です。
10日間(8公演)のツアーを終えて明日にはオーケストラと共にウィーンに帰り、翌日から別のプロジェクトのリハーサルが始まるそうです。そして、来月の頭にはマーラーの交響曲第8番(千人の交響曲!)も控えているとか。
多忙を極めていらっしゃるのでお体だけが心配ですが、益々のご活躍を祈念しています。
素晴らしい演奏をありがとうございました!!